白珠ちかのブログ

占い師・白珠ちかのブログです。

パフェ、おいしくておもしろい

去年から、あるレストランにたびたび通っている。

 

料理はイタリアンで、店主の方はソムリエでもあるのだが、パフェがとても人気だ。

 

パフェの内容は月替わりで、その月の食材や店主の出身の愛知県産食材などが使われている。

(余談だけど、愛知県出身の人は「自分の土地で作られた食べ物のおいしさを知ってもらう仕事をしたい」と思うきっかけが、特別にあるのだろうか?と、名古屋のお屋敷を連想する)

 

先日、2月のパフェを食べに行ってきた。

 

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チョコレートや、みりん粕のアイスクリーム、あたたかいデザートなどが組み合わされていた。

 

このお店のパフェは、ひとつひとつがしっかりおいしい食材を要素として、普通の食べ方とは違う味の構成に組み立て直す、頭の体操といった面白さがある。

 

もしかしたら、料理とワインのマリアージュの考え方が、食材の味をパフェとして構成してみようという取り組みの由来なのではないかと思う。

 

知的好奇心を刺激してくれる、とても面白いお店だ。

 

そして、このお店のパフェが好きな理由はもうひとつある。

 

後味がすっきりしていることだ。

 

気持ち悪くなったり、物足りなくなったりしない。

 

味の組み合わせをいろいろ楽しんで、食べ終わったあとは気分よく帰れる。

 

食材の質や組み合わせの妙を追求するだけでなく、食べる人の感覚まで考えた構成になっているんだな……と、そのことにいつも感動する。

 

ちなみに、その時々のパフェと合うワインやノンアルコールドリンクも、別料金で用意されている。

 

パフェと飲み物のペアリングも、またおもしろい。

 

2024年は、このお店になるべく毎月通ってみようかと思っている。

 

ミロ・パウチゼリー・野菜

私は偏食だ。

 

詳しく説明すると、同じ食べ物なのに食べるたびに味が違うものが苦手だ。

 

もし今回の食事で嫌な味や歯ごたえがあったらどうしようと不安で、手がつけられなくなる。

 

つまり、野菜・果物・魚・肉…といった、加工で均一にされていないものは、濃淡の差はあっても全てなんとなく苦手だ。

 

そんなありさまだから、もちろん常に栄養は偏っている。

 

そこで、多少なりとも足しになればという気持ちで、鉄分の含まれているミロや、ビタミンの入ったパウチゼリーを取り入れるようにしてみた。

 

実家ではこういうことはできなかった。

 

野菜を食べて天然のビタミンやミネラルを摂るのが一番身体にいいから、人工的なもので妥協すべきでないと言われていた。

 

両親の考えによれば、漠然と理想だと思い込んだものを全力で実現しなければならず、代替案や次善の策は失敗より悪い。

 

私はやりたくないことはできないし、できることで目標にたどりつく道を考える性質なので、気づいてはいなかったけれど、実家の考え方とはけっこうなミスマッチだった。

 

一人暮らしをはじめてから、まるで正気に戻ったかのように、生活の中の妥協できる点に気づいて、だいぶ楽になっている。

 

すり合わせをして生まれるわけではないから、生まれた家の常識が、自分の性質と違うこともある。

 

ビタミン入りのパウチゼリーがなくなったので、明日ドラッグストアで買ってこようと思う。

片付けられる乙女座になった理由

こんにちは。白珠ちかです。

占いをやっています。

 

私は太陽と火星が乙女座にあります。

 

一般的な乙女座というサインのイメージには、「几帳面」「清潔好き」という言葉が出てくるかもしれません。

 

しかし、私は長い間、ものが散らかった部屋に住んでいました。

 

あまりにも部屋が散らかっているので、実家で私の部屋は「ブタ小屋」と言われていました。

 

一方、最近は、だいぶ床が見えて掃き掃除もでき、9割くらいのものが収納された部屋で生活できています。

 

この変化の理由を説明して、乙女座サインの力を発揮する条件を考えたいと思います。

 

求めることが定まった

 

理由のひとつは、自分が本当に持っていたいもの、実現したい暮らし方が分かったことです。

 

たとえば、いろいろな(ときには奇抜な)洋服を着ることが好きでしたが、コロナ禍の影響もあり、「素敵な服より着心地のいい服を着たい」という気持ちに変化しました。

 

そこで、持っていた服をだいぶ処分しました。

 

今は、なるべく綿100%・トップスは明るい色・ボトムスは黒、といった自分の条件に当てはまる同じ服を3枚ほどまとめ買いして、適宜洗濯しながら着ています。

 

また、実家に住んでいるときは、「捨てるのがもったいないから」と雑貨を部屋に置かれることなどもあり、部屋の構成がままならないところが多くありました。

 

一人暮らしをはじめたとき、せっかくだから自分の意思を正確に反映した部屋作りをしたいと思い、部屋についていろいろ考え、方針を決めました。

 

たとえば、こんな感じです。

  • 掃除道具を持つだけで掃除をはじめられる部屋にする
  • 装飾のみの目的のものは置かない
  • 見ていて疲れないよう、ポスターなどを壁に貼らない

 

また、ひとつひとつの方針を突き詰めていくと、私が部屋に求めることは、仕事ができて、眠れて、好きなものを保管しておけるという3点だと分かりました。

 

今の部屋作りはとてもうまく行っていると思っています。

 

他人の「いい部屋」にとらわれない

 

理由のふたつめは、他の人が言ういい部屋のあり方や、生活のしかたを取り入れなくなったことです。

(ひとつめの理由と根本は同じことを言っていると思います)

 

繰り返しになりますが、私は自分の家で仕事ができて、眠れて、好きなものを保管しておければ満足です。

 

だから、テレビやソファーは目的に沿わないので置いていません。

 

仕事の道具や書類入れなどは、大きい机に全て配置して、手を伸ばせば取れるようにしています。

 

目を疲れさせたくないので、家具の色は統一しました。

(ホワイトで統一してしまったのは、目の疲れを考えると、あまりよくなかったかもしれません)

 

自分の考えを取り入れて、「自分はそう思わないけど他の人がそう言ってるから……」という選択をしなかった結果、自分がやりたいことを満足にできる、私にとってのいい部屋になりました。

 

理想:乙女座の万能出発点

ここまであげてきた「ブタ小屋と呼ばれる散らかった部屋に住んでいた乙女座太陽・火星の私が、片付いた理想の部屋に住めている理由」は、以下のふたつです。

  • 生き方、暮らし方において、自分自身の求めることが定まった
  • 自分のやりたいことだけを取り入れた部屋作りをした

 

ここから、乙女座サインが力を発揮する理由を考えたいと思います。

 

私は、以前から乙女座というサインの特徴について、「自分が完璧だと思う姿になりたくて努力する」という点があるのではないかと考えてきました。

 

重要なのは、他の誰でもなく「自分が」完璧だと思う姿、ということです。

 

世間の評価とは関係なく(たまたま一致することはあると思います)、自分にとっての理想になるためなら、想像できないような努力も嫌だと思わずに続けられるのが、乙女座というサインだと思っています。

 

私は、一人暮らし開始をきっかけに、自室の自分にとっての理想像を考え直し、「仕事ができて、眠れて、好きなものを保管しておける部屋」という結論を得ました。

 

それまでは、部屋に対して「片付いた部屋」「素敵な部屋」という漠然とした考えしかなく、自分自身で納得した理想はありませんでした。

 

また、家具についても、まだ子供だった自分のために両親や祖父母が選んでくれたものを使っていました。

(もちろん、働きはじめてからは自分で家具を入れ替えることはできたはずなので、私が理想を追求できていなかったのですが)

 

振り返ってみると、理想が固まっていなかったことで、努力を引き出すきっかけがなかったと思います。

 

あくまでも私自身の経験からの推察ですが、乙女座サインにとって快適な部屋を作り、維持するための出発点となるのは、「自分の理想」ではないでしょうか。

 

そしておそらく、その理想は部屋そのものに対するものでなくてもいいはずです。

 

ひとつの実現したい理想像から逆算して、どんな部屋に住んでいるか考える。

 

そして、理想の自分が住んでいそうな部屋を作り、維持する。

 

そんな形で、乙女座サインの要素を持つ人は「片づけられる人間」になりうるのだと思います。

 

さらに言えば、部屋だけでなく、自分で整備できるあらゆるものについて、乙女座サインは同じ過程をたどって質を高められるのではないかと、私は考えています。

 

自分でとことん考え抜いた理想を持つことは、乙女座サインにとって、万能の出発点であり、力を発揮する源泉です。

線香(今週のお題「習慣にしたいこと・していること」)

最近はじめた習慣は「線香をあげること」だ。

 

一昨年に祖父・祖母・父が相次いで他界した。

 

それぞれに問題のある人で、特に祖母と父からは損なわれたという感覚もあるけれど、美点も、尊敬すべきところもあり、いなければどうしようもなくさみしい。

 

Twitterでつながっている友人から、「いなくなってさみしいと思わせてくれる親であったことが、親からのギフトではないか」とお悔やみの言葉をもらった。

 

本当にその通りだ。

 

さて、私はいまのところ結婚していないし子供もいない。

 

この先も子供を持てることはないと思う。

 

亡くなった家族の供養ができるのは私が生きている間だけだ。

 

しかし、恥ずかしいことに先祖供養に割ける資金や気力体力は、私にはほぼない。

 

せめて1日1本の線香でも……と思ったのが、線香をあげる習慣のはじまりだ。

 

私は最大2日しか物事を続けて行うことができない。

 

3日坊主未満だ。

 

しかし線香をあげるのは15日以上続いている。

 

すごい。

 

線香をあげることは、楽しいとか香りが心地よいとかいったことより、もっと深い欲求を満たしてくれる感じがする。

 

祖母の実家は神主や修験者が出ているようで、祖母自身も見えるらしい人だったので、その祖母あたりが誘導しているのかもしれない。

 

それは冗談としても、線香をあげる中で、もう実際の体のある存在としては会うことのできない家族とつながり直しているのかもしれない。

 

あるいは、自分自身の一生の仕事として、つながりのある死者の弔いを引き受けることが、実は私自身の望みを満たすことだったのかもしれない。

 

先祖の弔いというにはささやかすぎるかもしれないが、これからも、私が安全に火を扱えるうちは、線香をあげたい。

 

レシピ本は電子

こんにちは。白珠ちかです。

今回の記事は占いと関係のない、本と電子書籍の話です。

 

最近、レシピ本は電子書籍で買うことが多い。

 

電子書籍の形でレシピを持っていることのメリットが、自分にとっては大きいと気づいたからだ。

 

何よりも持ち運びに便利なのがいい。

私はスマートフォン電子書籍を読んでいる。

外出時には必ずスマートフォンを持っているから、レシピも持ち運んでいることになる。

 

私のように、段取りが苦手で、たまに訪れる「今ならできる」という気持ちに頼るしかない人間にとっては、買い物の予定を立てるのも一苦労だ。

 

だから、必要なものはスマートフォンのタスクリストに登録して、「今なら外に出られる」となった外出のついでに、買い物もなるべく済ませている。

 

外出先でレシピ本が参照できれば、不意の買い物チャンスに、より充実した買い物ができることになる。

 

また、私は確認があまいため、買い物リストを作っても記載漏れをしてしまうこともある。

 

そんなとき、レシピ本を直接参照できるのは、とても助かる。

 

そしてもうひとつ、スマートフォンの中のレシピ本の紙面は、決して汚れない。

 

調理をしながらレシピ本を参照すると、ソースがはねたり、汚い手で触ってしまったりして、本に跡が残ることがある。

 

レシピ本の著者の方が、「どんどん使って汚してほしい」というコメントをされていたこともあるから、レシピ本を使って汚すのは悪いことではなく、活躍の証だ。

 

しかし、私が調理中にレシピ本を汚してしまったとき、正直なところでは「やってしまった…」という気持ちが大きい。

 

そして、この「やってしまった…」を味わいたくなくて、なんとなく調理作業やレシピ本の参照をやらなくなってしまうことも多い。

 

その点、スマートフォンなら画面を拭けば汚れが残ることはない。

AppleCareに入っているので、鍋に落とすなど大きい失敗があってもなんとかなるだろうと思っているのもある)

 

本当に、電子書籍のレシピ本には助けられている。

 

もちろん、仮に電子書籍が出なくても、それならばと紙の本を購入する、大好きな著者の方は何人もいる。

 

たとえば、山本ゆりさん、今井真実さんのレシピは、本を見てひんぱんに使わせていただく。

 

実家には小林カツ代さんのレシピ本がたくさんあり、小さい頃から読み込んできたが、それも全て紙の本だ。

 

電子書籍がないことは、私にとって購入の障壁にはならない。

 

とはいえこの1〜2年で変化した行動のひとつなので、記録したいと思い書いてみた。

 

前回の辰年にしていたこと

こんにちは。白珠ちかです。

占いをやっています。

 

2024年は辰年(甲辰)ですね。

 

前回の辰年は2012年ですが、私はそのとき何をしていたかな〜と思い出してみました。

 

2012年、私は大学の4年生でした。

 

3年生あたりから、将来の進路を決められず、まず一歩踏み出してみるようなこともできず、しだいに気持ちがしんどくなっていき、留年することになりました。

 

普通に就職なり進学なりしていれば、2012年の4月から、新天地での生活が始まっていたのですが、どこにも行けないまま1年遅れで卒業論文と格闘していました。

 

たくさんの文献を読み、仮説を立てて検証し、文章を組み立てていくことは、とても地道で繊細な作業です。

 

卒論を書くことは、私自身の能力を超えたことで、またそのときの私の心の状態ではとても余裕を持ってできることではありませんでした。

 

毎日、できない、自分がダメだからだ、と泣いていて、顔がむくんでしまい、輪郭がジャガイモのようにボコボコになっていたこともあります。

 

指導教授に時間をとってもらったこともありますが、「泣く前に1文字でも読んで書きなさい」と助言されて帰ってきました。

 

今は教授の言うことの完璧な正しさが分かりますし、当時だってもちろん分かっていましたが、どうすることもできませんでした。

 

しかし、泣きながらPCに向かっていたら、いつの間にかまとまった量の文章が書けていました。

 

その卒論で大学院に行くことはできず、もう1年留年することになるのですが、もうダメだと絶望しながら手を動かしていたらいつの間にか成果物らしきものの核ができていた……という体験をしました。

 

その体験は、現在の私の開き直りの下地を作っています。

 

今やれるようになりつつあることで、卒論の前に身につけておけばよかった……と思うことはいくつもあります。

 

脳が焼き切れそうになりながら丁寧に準備をすること、不備を見つけたら思い切って最初に戻ること、細かい点まで確実に明らかにしておくことなどです。

 

西洋占星術的に言えば「乙女座をやる」ということになるでしょうか。

(私は乙女座に太陽と火星があります)

 

2012年の自分と比べて、2024年の自分はさすがに成長しています。

 

しかし、2012年の自分を見習って自分にある程度負荷をかけて学ぶことを、もう一度はじめる年にしようと思います。

 

さすがに、顔の形が変わるほど泣くような体験は、もうやりたくありませんが……。

冥王星はいま私の8ハウス

こんにちは。白珠ちかです。

占いをやっています。

 

西洋占星術で、トランジットの冥王星はいま山羊座から水瓶座へ移動しようとしています。

 

この、トランジットの冥王星

私のネイタルでは8ハウスにいることになります。

 

8ハウスは、死や遺産など、

昼間に大きい声では話しづらいものの管轄というイメージがあります。

「自分の思うようにならないもののハウス」

という説明も聞いたことがあります。

 

それが全ての理由とは思いませんが、冥王星が8ハウスにいる期間、

私の親族で、血のつながりを通した影響力を多少なりとも持っている人が、おおむね亡くなりました。

 

遺産として受け取るものは、大してなかったのですが、

手放すか否か、どう手放すかということで、長く難しいやり取りを続けているところです。

 

権利の有無も、扱い方も、自分で思うようにならないのが8ハウスであり、

また8ハウスに含まれる範囲も、自分で誰まで、何までと決められるものではないのでしょう。

有名になると親戚が増える……みたいな話も8ハウス案件なのかもしれません。

 

私は、最近「100年後には全員生きていないから」と考えて、恥ずかしさをごまかすことが多いです。

 

8ハウスの事柄は、個人の手に余るだけに、

そういう「人の尺度より大きい、どうしようもないもの」をもって、

うやむやにするしかないのかもしれないです。