最近はじめた習慣は「線香をあげること」だ。
一昨年に祖父・祖母・父が相次いで他界した。
それぞれに問題のある人で、特に祖母と父からは損なわれたという感覚もあるけれど、美点も、尊敬すべきところもあり、いなければどうしようもなくさみしい。
Twitterでつながっている友人から、「いなくなってさみしいと思わせてくれる親であったことが、親からのギフトではないか」とお悔やみの言葉をもらった。
本当にその通りだ。
さて、私はいまのところ結婚していないし子供もいない。
この先も子供を持てることはないと思う。
亡くなった家族の供養ができるのは私が生きている間だけだ。
しかし、恥ずかしいことに先祖供養に割ける資金や気力体力は、私にはほぼない。
せめて1日1本の線香でも……と思ったのが、線香をあげる習慣のはじまりだ。
私は最大2日しか物事を続けて行うことができない。
3日坊主未満だ。
しかし線香をあげるのは15日以上続いている。
すごい。
線香をあげることは、楽しいとか香りが心地よいとかいったことより、もっと深い欲求を満たしてくれる感じがする。
祖母の実家は神主や修験者が出ているようで、祖母自身も見えるらしい人だったので、その祖母あたりが誘導しているのかもしれない。
それは冗談としても、線香をあげる中で、もう実際の体のある存在としては会うことのできない家族とつながり直しているのかもしれない。
あるいは、自分自身の一生の仕事として、つながりのある死者の弔いを引き受けることが、実は私自身の望みを満たすことだったのかもしれない。
先祖の弔いというにはささやかすぎるかもしれないが、これからも、私が安全に火を扱えるうちは、線香をあげたい。